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三上正貴(みかみ・まさたか)

三上正貴(みかみ・まさたか)

生年月日:1988年6月4日。青森県出身

日本代表キャップ数:32

RWC出場歴:2015

ポジション:PR

 

▼ラグビー略歴:青森工業高校→東海大学工学部→東芝ブレイブルーパス(5年目)。高校日本代表、U17、U19、U20、日本A、ジュニア・ジャパン

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三上選手は青森県の出身。小学生の頃は、学校では野球、個人的には相撲をしていたそうで、相撲の県大会では小学4年の部で優勝経験もあります。高校卒業後は就職を考えていたようですが、東海大学の木村監督の誘いで進学。天性の足腰の強さでメキメキと頭角を現し、エイジレベルの代表チームに次々に選出され、エディー・ジョーンズヘッドコーチ率いる日本代表でもスクラム最前列の1番を任されることになります。RWC2015の南アフリカ代表戦でも先発し、勝利に貢献。三上選手にとってのRWCとは? 大会後、彼の中でどんな変化があったのでしょう。

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スクラムの強さを買われての代表入り

しかし、最終メンバーでは当落線上に

 

 エディー・ジョーンズヘッドコーチになった初年度(2012年)に、練習生として日本代表合宿に参加しました。そのとき、エディーさんから、「まだワールドクラスのレベルではない。筋力もスクラムの強さも、もっと上げてくれ」と言われました。期待をかけてくれていることを実感して、そのとき初めてRWCを意識しましたね。

 それからトレーニングを積み、具体的な例をひとつあげれば、ベンチプレスが、130㎏くらいだったところ、155㎏まで上がるようになりました。体重も体脂肪は変わらずに、115㎏から2㎏ほど増えました。

 

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 僕のセールスポイントはスクラムだったので、日本代表がスクラムを重視するなかで選んでもらえたのは、すごく嬉しかったです。日本代表のスクラムが強くなったのは、筋力や細かなスキルなど小さなことを積み上げていったこともありますが、それよりも、選手がスクラムを組む重要性を理解し、押すことによってどれほど次のプレーに影響があるかについての認識が高まったことが大きいと思います。一つ一つのスクラムを組む集中力が高まりましたね。次第にスクラムを押すことで、日本でもお客さんが盛り上がるようになり、イタリア戦(2014年6月)では、スクラムを組みながら歓声が聞こえました。そういうときは、よし、もっと押そうという気持ちになりますね。

 2015年の7月、パシフィックネーションズカップのときに、エディーさんから、1番の3人(平島久照、稲垣啓太、三上正貴)が呼ばれて、「RWCには、1番は2人しか連れていけない」と言われました。そのとき、僕は腰の怪我で試合に出ていなくて、すごく心配になりました。だから、最終的にメンバーに残った時は、そうとう嬉しかったです。

 

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南アフリカ戦勝利はラグビー人生最高の喜び

その後に起きた数々のこと、2019年への思い

 

 RWC初戦の南アフリカ代表戦は先発することができました。9月5日に行われたジョージアとの試合で、スクラムには手ごたえをつかんでいましたが、実際に組んでみると、南アフリカのスクラムは想像以上に強かったです。ボールが投入されたらすぐに出すというゲームプランだったので、そこまで崩されずにボールを確保することはできたのですが。前半の40分はあっという間。僕は後半17分でベンチに下がったのですが、その前に僕がタックルを外されてトライされてしまった。責任を痛感していたので、逆転を狙った最後のスクラムの時は祈るような気持ちでした。

 トライが決まって勝った瞬間は、興奮しすぎてよく憶えていないのですが、近くにいた人と抱き合って、とにかく泣いていました。ラグビー人生の中で最高に嬉しい瞬間でした。RWCという大舞台で1勝できたこと、その相手が南アフリカだったこと。なにもかもが最高でした。もちろん、勝つために準備はしていたのですが、そんなに簡単に勝てるとは思っていなかったし、現実になってほんとうに嬉しかったです。

 第2戦のスコットランド戦まで中3日しかなかったのですが、南アフリカ戦後に、キャプテンのリーチ マイケルから、「きょうはリラックスして、また明日から切り替えて行こう」という言葉があり、意識は高く保てたと思います。しかし、肉体的には疲れはあったし、日本のニュースなども携帯で見られて、すごいことを成し遂げたという気持ちを引きずったところがあったと思います。友人からもたくさんメールが来ましたが、「出てたんだね」というのもありました(笑)。

 いま、自分の家には南アフリカ戦で着用した日本代表ジャージーにみんなのサインを入れてもらったものを飾っています。大野均さんは南アフリカの選手とジャージーを交換したようですが、僕は勝利にひたっているうちに交換するのを忘れていたんです。

 帰国後、テレビに出たりしたのも楽しい経験でした。会社(東芝)の人たちからも、たくさん祝福の言葉をいただきました。サントリーの畠山健介さんなど府中にいる日本代表メンバーで居酒屋に行ったときは、お店から「刺し盛り」のお祝いがありました。

 

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でも、こんなこともあったんですよ。府中駅を歩いていたら、リーチと偶然出会った。そこに、お子さんを連れた女性が通りかかって、「リーチさんですか、一緒に写真を撮っていただけますか」と近づいてきたので、僕が撮ってあげました。すると、その女性から「あなたも、リーチ選手と一緒に撮られますか?」という言葉が(笑)。リーチが説明してくれたのですが、僕もまだまだです。

 RWC後に自分の中で何が変わったかと言えば、人に見られることを意識するようになったことかもしれません。トップリーグでも、日本代表として恥ずかしいプレーはできないし、練習でもぜったいに手は抜けない。RWCに出た選手として、試合、練習、そして私生活でも恥ずかしくない振る舞いを心掛けています。

 2019年は日本でRWCが開催されますが、その時も先発メンバーでいたいです。しかし、それを目標にするのではなく、いま、目の前にある一つ一つのことを、しっかりやって行きたい。そのことの大切さは、RWC2015への準備の中で学んだことです。

 

TEXT by KOICHI MURAKAMI

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