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第81回 湯原祐希

PROFILE

湯原祐希(ゆはら・ひろき)

生年月日:1984年1月21日。千葉県出身

日本代表キャップ数:22

RWC参加歴:2011、2015

ポジション:HO

▼ラグビー略歴:印西ラグビースクール→千葉錬成会→流通経済大学柏高校→流通経済大学→東芝ブレイブルーパス(10年目)。2010年5月1日(対韓国)、テストマッチデビュー。

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歴史的快挙を成し遂げた日本代表のRWCメンバー31名の中に、試合に出られなかった選手が2人いました。一人は前キャプテンの廣瀬俊朗選手、そしてHOの湯原祐希選手です。身長173㎝という小さな体ながら、抜群の運動能力で頭角を現し、日本代表のFW第一列に定着した湯原選手は試合出場こそなかったものの、試合出場メンバーを献身的に支えました。その役割は快挙に大いに貢献しました。彼にとってのRWC2015とは、どんなものだったのでしょう。

 

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「湯原は3番手」と言われた状況で奮起

がむしゃらにアピールしてのメンバー入り

 

 RWCから帰国して、これまでラグビーに興味のなかった職場の人や友人もラグビーに関心を持ってくれていて、ファンが増えたことを実感しています。身近なことで言えば、子供の保育園に送り迎えに行っても、以前は、「ラグビーをやっているのですね」と普通に言われるくらいだったのが、同じ言葉でもテンションが違います。雰囲気が変わったことを実感しています。

 日本代表は高校生の頃からの憧れで、入試の小論文に書いたほどです。大学、社会人でもずっとそう願っていました。まずは東芝でレギュラーになって、それを日本代表のスタッフに見てもらいたくて、2005年に日本代表入りしたときはとても嬉しかったですね。そして、日本代表に選ばれたからにはRWCに行きたいと思いました。2011年のRWCに行くことができて、エディー・ジョーンズヘッドコーチの下でも、日本代表のメンバーに残ることができた。2015年大会についても、メンバーに入るまで自分をアピールするだけでした。HO3人中、「湯原は3番手だ」とエディー・ジョーンズヘッドコーチからは言われていたので、自分が勝負できるところでがむしゃらにやりました。メンバー入りできるのは、フロントロー(FW第一列)で7人ということでした。その内訳が1番(左PR)2人、2番(HO)3人、3番(左PR)2人なのか、あるいは、2人、2人、3人になるのかは分からなかった。2番が2人の可能性もあったわけです。

 

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 練習でハードワークして、スクラムなど自分の強みをアピールして、何とか残りました。発表されたときは、「うわ~!行ける!」という感じで嬉しかったです。その後、エディーさんが、メディアの皆さんに対して、「この31名の中には試合に出られない選手もいるでしょう」というコメントをしていたので、頑張らなければ出られないと思いました。アピールする試合がなかったので、練習で頑張るしかなかったのですが。

 初戦の南アフリカ戦のメンバーが発表されたとき、自分の名前はありませんでした。でも、エディーさんとのワン・オン・ワン(一対一)のミーティングで、「今回はメンバーに入っていないけど、いつ何が起こるかは分からない。怪我などでポジションが空く可能性もある」と言われていたので、いつでも試合に出られるような準備をしていました。試合に出ないメンバーは、ヘッドスタート(早朝練習)も毎日ありますし、試合に出るメンバーのために相手チームを分析し、特徴を真似て練習台になったりもしました。やることは多かったです。

 若い頃は、同じポジションの選手がミスをすれば俺が出られる、俺が出たらもっといいプレーができると考えることもありましたが、今回は、このチームに素直に勝ってほしいと思いました。春からの強化合宿で皆と同じきつい練習をしてきて、その間は家族よりも長い時間を一緒に過ごしました。だから、南アフリカ戦の終盤はいてもたってもいられなくて、メンバー外の皆でスタンドから下(ピッチサイド)に降りていきました。勝った時は泣きながら抱き合いました。本当に嬉しかったです。

 

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試合に出られない経験をしたことで

今が当たり前ではないと気付けた

 

 その後、スコットランド戦、サモア戦もメンバー外で、最後のアメリカ戦もメンバーには入ることができませんでした。しかし、サモア戦でチームはいい感じで戦っていたし、調子も上がってきて、ずっとやってきた練習の成果が出てきていました。なかには、「湯原さん、次はあるんじゃない?」と言ってくれる選手もいて、そういう時は「そうだな、出られたらいいな」とは答えましたが、内心ではそれは違うと感じていました。エディーさんが温情で出ていない選手を出すのは違うと思っていたのです。アメリカ戦のメンバー発表で名前を呼ばれなかったときは、これでいいと思いました。これまでの方針とブレず、そのときのベストメンバーで勝ちに行くのが当たり前だからです。

 友人は、「湯原、最後は出てくれよ」と言ってくれたし、自分も出たいから練習では必死でアピールはしました。それでも、メンバーに入らなければ全力でサポートしたい。日本代表のメンバーはそう思わせてくれる仲間でした。今回の経験で自分の中で何が変わったかと言えば、メンタルかもしれません。RWCから帰ると、東芝のメンバーとしてトップリーグの試合が待っていました。東芝ではレギュラーで試合に出ていますが、自分以外にも頑張っている選手がいて、ハードワークを続けている。その選手達の気持ちも考えることができるようになりました。

 エディーさんから言われた言葉で、ずっと覚えているものがあります。「桜のジャージーを一度着られたからといって、次も着られると思うな」。東芝のジャージーを着られることも当たり前ではありません。いつ怪我をして、いつ他の選手に抜かれるかも分からない。毎回、競争をしてファーストジャージーをつかまなくてはいけないのです。今季のトップリーグの初戦のジャージー渡しのとき、こうした気持ちを皆の前で話しました。「このジャージーを着られることを誇りに思う。これは、当たり前じゃない」と。

 2019年には日本にRWCがやってきます。大野均さん(東芝)が37歳でRWCに出場し、元気にプレーしているので自分もできるかぎり現役でプレーしていたいです。「湯原、もういいよ」と言われるまで。日本代表入りについては、まずはチーム(東芝)で結果を残し、その時の日本代表の監督、コーチに「湯原をジャパンに」と言ってもらえたら、それが一番嬉しいです。

 自分は2011年のニュージーランド大会、2015年のイングランド大会に参加できたのですが、いずれも大いに盛り上がり、どの会場も満員でした。我々も日本代表のウェアを着て歩いているだけで、どの場所でも激励の言葉をかけられました。2019年も日本以外の国の選手が歩いていても、「ラグビー頑張れ」と声をかけられるような環境、つまり国民の皆さんの多くが関心を持ってくれるようになっていれば嬉しいですね。いまはまだラグビーに関心がないという人も、一度会場に来ていただいて、体のぶつかる音やスピードを感じてもらいたいです。きっと感動していただけると思いますよ。

 

TEXT by KOICHI MURAKAMI

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