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【RWC2015特別レポート】第2回 温かな眼差しでラグビーの取材を続ける女性記者 森本優子さんにとってのラグビーワールドカップ

森本優子さんは、第1回RWCが始まる少し前にベースボール・マガジン社に入社し、ラグビーマガジン編集部に配属されました。以降、RWCを編集者、記者として見続けています。今大会も開会式から決勝戦までを取材予定。2015年9月19日、日本代表が南アフリカ代表を破った歴史的勝利から3日後、スコットランド代表戦が行われたグロスターでお話を伺いました。

テーマ曲「ワールド・イン・ユニオン」が採用された1991年大会
原稿の送信方法は、なんと電話! 現在のメールとは隔世の感

 

 

「私が入社した頃は、ラグビーのテストマッチ(国代表同士の試合)は第三国では行わない時代でした。交流のある国同士の定期戦が主体で、対戦国同士を行き来するだけだったのです。それが入社2年目あたりに、ラグビーもワールドカップをやりそうだという話が出てきて、そこからはとんとん拍子に話が進んでいきました」

 1987年の第1回RWCは、ニュージーランドとオーストラリアの共同開催で行われたが、森本さんは出張には行かず、東京の会社での編集作業を担当。現地取材の願いがかなったのは、1991年、イングランドをホスト国に開催された第2回RWCだった。

「なにもかもが初めての体験で楽しかったですね。RWCのテーマ曲になっている『ワールド・イン・ユニオン』が採用されたのもこの大会からです。とてもいい曲だと感銘を受けました。その後、各大会でその国を代表する歌手が歌っていて、日本の大会ではいったい誰が歌うのだろうと想像しますね」

 雑誌や新聞はRWCの感動を文字で伝えるが、第1回大会から通信手段は大きく変わった。森本さんが初めて取材した1991年大会はどのように日本に原稿を送ったのだろう。

「エジンバラのマレーフィールドで行われた日本代表対スコットランド代表戦が終わると、記者の皆さんが原稿用紙に手書きで文章を書いたあと、それを電話で読んで送っていたのをよく憶えています。まだファックスも普及していない時代ですから、文章を読み、それを日本で書き起こしてもらうのが一番早かったのです。それを考えると、パソコンのメールで送る現在は隔世の感があります。私は雑誌の編集者ですから、写真を送信するのも大事な仕事なのですが、1999年大会ではフィルムを持ち帰っていました。2003年大会はフィルムとデジタルカメが半々。2007年大会からデジカメですべてを撮影するようになりました。デジタル画像はデータで送るのですが、2003年、2007年、2011年の3大会は、写真を送信するのに料金がかかりましたね。今大会から初めてフリーワイファイになりました」

 1991年と言えば、北アイルランドのベルファストで、日本代表がジンバブエ代表に勝利した。それが今大会まで日本の唯一の勝利だった。

「ベルファストのスタジアムは、本当にのどかな場所でした。勝ったことは嬉しかったのですが、実は原稿の内容などはよく覚えていません。このあと、ずっと勝てなくなるとは思いもしなかったですから。この大会ではスコットランド戦でマレーフィールドを立錐の余地なく埋めた観客が最初は盛り上がっていたのに、日本代表がいいプレーをすると、けっこう日本は強いなと、だんだん静かになっていったのを記憶しています。悪い意味で印象に残っているのは、1995年のオールブラックス戦の大敗ですね。記者失格かもしれませんが、正視できなくて一度席を外したほどです」

 

南アフリカ戦勝利でもっとも感動したのは選手入場
長らく取材をしてきたからこその思いがそこにあった

 

 RWCは回を重ねるごとに、メディアの数も増え、報道の量も厚みを増している。取材現場ではどのような変化があったのだろう。

「メディアが増えるにしたがって大会運営もきめ細かくなり、メディア規制も厳しくなっていきました。1999年のウェールズ大会では、ウェールズ代表の練習はすべて見られましたが、いまはどのチームも最初の15分しか練習を公開していません。1999年大会も一部に非公開練習はありましたが、全体がそうなったのは、2003大会からだったと思います。各チームがグラウンドに囲いをして練習を非公開にし始めた。ただし、この大会では日本代表のホテルで個別取材ができましたが、今はそれも規制されるようになりました。取材は次第に制限される方向に行っていますね」

 その後も取材を続けてきた森本さんにとって、今大会の南アフリカ代表戦勝利は格別なものになった。

「記者席も騒然としていましたが、日本代表の健闘に会場のボランティアの皆さんまでが応援し始め、警備員や係員も真剣に見入っていました。でも、実は私が一番感動したのは選手入場のときです。先頭に立つリーチ マイケルキャプテンが凛々しくて、みんなこのために4年間やってきたのだと思うと感動しました。厳しい練習も見てきたし、いろんな選手に話も聞いてきましたから。リーチ選手が、15歳で来日した頃から知っていることもあったかもしれません。2011年大会でトンガ代表に負けた時、リーチ選手が立ち上がれなかったのも見ました。その彼が南アフリカ代表の名キャプテンであるジャン・デヴィリアスと並んで入ってきた。母のような気持ちになって本当に嬉しかったです。試合内容もミスがなく、日本代表の歴代ベスト・オブ・ベストだと思います。日本の記者としても、やっと居場所ができた気がしました。各国の記者が集うプレスセンターでは、これまで『日本代表は弱いのに、なぜ記者の数だけ多いんだ』というような視線を感じてきましたから。日本代表に感謝です」

 記者としての楽しみは、「個人のインタビューで、人となり、そこに挑む人の心境を引き出せる瞬間」という森本さんは、昨年末、パナソニックワイルドナイツのクラブハウス(群馬県太田市)で堀江翔太選手にインタビューをした。

「そのときは、スーパーラグビーのレベルズでの挑戦の話を聞きました(※その後、首の負傷で不参加に)。レベルズは去年いい調子で来たから今年も楽しみですね、と尋ねたら、『いいんですよ。レベルズで1勝もできなくても、いいんです! ジャパンがワールドカップで勝てばそれでいい』という答えが返ってきました。心の叫びのように感じて、ICレコーダーにもいまだに残っています。それまでずっとスーパーラグビーのことを話していて、時期的にはまだトップリーグの試合もたくさん残っているのに、それほどまでにジャパンで勝つことを考えていたのか、と。南ア戦勝利はそういった思いの積み重ねなのですね」

 

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海外でファンと一緒にいて嫌な思いは一度もなし
ラグビーファンはすべてを受け入れ、心はいつも開いている

 

 2019年は日本にRWCがやってくる。その生の空気を知る者として、どんな期待感を抱いているのだろうか。

「RWCは、ラグビーだけではなく、開催国のスポーツに対する価値観や、スポーツ文化が全部見えてしまう大会だと思います。これまで開催されたどの国もスポーツ文化は豊かでした。だから日本も気を引き締めて臨まないといけない。海外から来た人達にスポーツ文化のしっかり根付いている国だと思われるような大会にしないといけないと思います」

 森本さんがグラウンド外のことで印象に残っているのは、RWCではファン同士のトラブルがほとんどないことだという。

「2003年のオーストラリア、2007年のフランス大会は、いつも電車で移動していたのですが、準決勝や決勝で大勢のファンと乗り合わせても、嫌な思いをしたことが一度もないのです。試合後、両チームのファンが一緒にいても誰もケンカをしない。パリの地下鉄も超満員でしたが、イングランドとフランスのファンが仲良く話している。ラグビーが好きな人は、心の扉を開き、みんなを受け入れるところがあるのです。ファンの心にカギはかかっていません。その温かい雰囲気を、日本の皆さんにも知っていただきたいです。日本代表が南アフリカ代表に勝ったときも、南アフリカのファンの皆さんが日本のファンに拍手を送っていました。日本もそうあってほしいと思います」

 

TEXT by KOICHI MURAKAMI