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木曽一(きそ・はじめ)

木曽一(きそ・はじめ)

生年月日:1978年11月7日。大阪府出身

日本代表キャップ数:32

RWC出場歴:1999、2003、2007

ポジション:LO/FL/NO8

 

▼ラグビー略歴:島本ラグビースクール(5歳~)→三島高校→立命館大学→ヤマハ発動機ジュビロ→ノースハーバー(NZ)→NTTコミュニケーションズ→日本IBMビッグブルー。高校日本代表、7人制日本代表

195㎝の長身を利したラインアウトのキャッチの高さは日本人では群を抜いていました。ヤマハ発動機時代にはラグビー王国ニュージーランドで武者修行、ノースハーバー州代表にも選出されます。RWCは3大会で日本代表メンバー入りしましたが、充実のパフォーマンスは2003年大会でしょう。現在、NTTコミュニケーションズに勤務しながらクラブチームで現役生活を続ける木曽選手は、いずれラグビーにかかわる仕事をするため「現場の空気を感じ続けていたい」と話します。RWCで木曽選手は何を感じたのでしょう。そして、2019年についての思いとは。

 

初めて見たのは1995年RWC

努力不足を痛感した高校日本代表候補合宿

 

 初めてラグビーのワールドカップを見たのは、1995年大会でした。僕は高校2年生で、ラグビー選手といえば神戸製鋼の平尾誠二さんくらいしか知りませんでした。日本代表を見たのはこの時が初めてで、こういう世界があるんだなって、夜中にテレビで感じたのを覚えています。

 その頃の僕は、オール大阪に選ばれてはいましたが、身長が195㎝あったからという理由だけで、まったく走れなかったんです。まさか、4年後のRWCに参加することになるとは、その時は夢にも思いませんでした。

 高校3年生のとき、高校日本代表の一次候補合宿呼ばれたのですが、もう、しんどくて早く帰りかった。そのとき、野上友一先生(現・常翔学園高校ラグビー部監督)から、「一週間でよく伸びたね」と声をかけてもらえた。この合宿から意識が変わりました。

 この候補合宿には、199㎝の平塚純司(当時、秋田工業高校)、194㎝の熊谷皇紀(東福岡高校)もいました。平塚は、ぶつかったときに僕が初めて上を見た人です(笑)。彼らは強豪高校で鍛えられているので、僕とはまったく違って能力が高かった。そのとき初めて、自分が努力不足だったことに気づいたのです。実際に自分の高校に帰ってみると、それまでとまったく違っていて、自分が伸びているのを実感しました。

 所属する高校は弱かったので9月には公式戦が終わってしまったのですが、野上先生から「二次合宿もあるから、走っておきなさい」と言われていたので、とにかくスタミナをつけようと思って走りました。

 

RWCの空気に触れてラグビー観が変わった

あのフィールドに立ちたいと素直に思った

 

 日本代表入りしたのは、大学3年生の春(1999年)のエプソンカップ(パシフィックリム選手権)です。2月に強化合宿に呼ばれたときは、寝耳に水でした。大学2年のときは関西大学Aリーグ6位で早々にシーズンが終わってしまい、1月はアルバイトに明け暮れていましたから。平尾誠二さんが監督で、コーチの土田雅人さんに鍛えられました。その年の3月の香港セブンズで、7人制日本代表に選ばれるくらい走力はついていたのですが、体重が98㎏ほどしかなく、平尾さんに「105㎏にしなさい」と言われて、食べてトレーニングしての繰り返しでした。

 最近、当時の日本代表の先輩だった大久保直弥さんと話す機会があって、「お前には、(ジャパンに)なりたい、行きたいという気持ちが見えたな」と言ってくれました。上手くなりたい、ジャパンに入って足を引っ張りたくない、という感覚で緊張感を持って練習していました。

 1999年のRWCメンバーに残ったときは嬉しかったけど、僕でいいのかと思いました。先行投資という意味もあったと思います。大会期間中も鍛えられたし、試合に出ることはありませんでした。

 しかし、RWCの空気に触れたことで、僕の中のラグビー観が一気に変わりました。日本代表がウェールズ代表と戦ったカーディフのミレニアムスタジアムでは、三木亮平さんと一緒にスタンドに座っていたのですが、隣の三木さんと話すのも大声を出さないといけないほどの大歓声でした。街全体もウェールズのサポーターで埋め尽くされていて、ラグビー文化ってこういうことなのかと驚かされました。あのフィールドに立ちたいと素直に思いましたし、そのとき、試合に出ていた大畑大介さんに「どんな感じでしたか?」と質問して、「伝えられへん」と言われたのをよく覚えています。

 

オーストラリアの人たちが日本に大声援

その雰囲気を2019年大会でも作りたい

 

 RWCの初試合は2003年のスコットランド戦なのですが、試合開始の5時間ほど前のホテルで急に緊張してきて、いてもたってもいられなくなった。初めての体験でした。同部屋がヤマハの先輩の久保晃一さんで、僕の気持ちを察したのか、「じゃあ俺、先に下でコーヒー飲んでいるから」と一人にしてくださったんです。そこでとことん緊張したからかもしれませんが、グラウンドに出るとまったく緊張せずにプレーできました。タウンズビルのお客さんがホームのように応援してくたこともあって気分が良かったです。

 試合に出てみて感じたのは、普段のテストマッチは親善試合で、RWCは戦争なのだということです。また、RWCはメディアの関心も高いので、自分を売り込みたい選手にとっては生活をかけて戦う場所でもある。一試合が終わっての消耗度が普段のテストマッチとまったく違いました。

 次のフランス戦は出場せず、フィジー戦、アメリカ戦には出ました。アメリカ戦に負けた後の記者会見で、「ただただ、日本が弱かっただけです」とコメントしたのですが、今も、その通りだったと思います。スコットランド、フランスといい試合はしたけど最後に突き放された。地力が違ったのです。

 2007年大会にも参加することができました。あの大会では、最初の2試合が中3日というタフな日程だったので、ジョン・カーワンヘッドコーチが、2チーム制を採用しました。僕は初戦(対オーストラリア)のチームだったのですが、次のフィジー戦の日になっても体が重かった。それほどオーストラリア戦のダメージが強かったのです。世界のトップの強さを痛感しました。

 2009年には日本でRWCが行われます。僕が参加した大会は、どれもラグビー文化の根付いたところで開催されました。それに負けないくらいの盛り上がりを作っていかなければ、日本ラグビーの未来につながらないと思います。

オーストラリア大会での日本の試合会場は人口の少ない場所だったのに、自国の試合ではないスタジアムが満員になり、日本に大声援を送ってくれました。日本でもそうしないといけないと思います。

 2002年のFIFAワールドカップのとき、僕は静岡にいたのですが、日本代表と関係のない一次リーグの試合は観客席がガラガラでした。サッカーどころの静岡ですらそれです。そうなってほしくない。RWCの試合はどれも面白い。本気の戦いです。世界トップレベルの戦いが見られるチャンスを、ぜひ日本の高校生や若い選手達にも味わってもらいたい。僕が参加したRWCの試合はすべて満席でした。もっともっと本気になって盛り上げていきたいですね。

TEXT by KOICHI MURAKAMI