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アンドリュー・マコーミック (Andrew McCORMICK)

生年月日:1967年2月1日。ニュージーランド(NZ)出身

日本代表キャップ数:25

RWC出場歴:1999

ポジション:CTB

 

▼ラグビー略歴:クライストチャーチ・リンウッドクラブ→クライストチャーチ・ボーイズ高→リンウッドクラブ→東芝府中(現東芝ブレーブルーパス、1992~2000)。現在は関西学院大ヘッドコーチ

 日本代表史上初の外国人キャプテンが生まれたのは、1998年のRWCを前にしての事です。流ちょうな日本語で熱く語り、激しいタックルを連発するマコーミックさんは、多くのファンに愛されました。ラグビー王国ニュージーランドから単身海を渡り、その場所で国代表を率いる。彼はどんな気持ちでRWCを目指し、世界を相手に戦ったのでしょう。

 

 

オールブラックス入りの夢破れ来日

お世話になった日本のため全力を尽くした

 

 私はニュージーランド(NZ)人です。だからオールブラック(ABS)に入るのが夢でした。祖父・アーチボルド、父・ファギーと2代続けてABSでした。私自身、1990、1991年と2年間、ABSのトライアルゲームに出場しました。しかし選ばれなかった。その後、東芝府中に声をかけもらって1992年に日本に来ました。その段階でABS入りの夢はなくなりました。

 東芝府中でプレーをしていく中で、この日本代表になってRWC出たい、と思うようになりました。だって自分がラグビーをしている国ですから。自分が毎日生活をして、お世話になっている国のために戦うのは至極当たり前のことでしょう。

 1999年の第4回RWCに選ばれた時は来日8年目でした。急に来た外国人ではなかったので、日本を代表する誇りを持っていたつもりです。ジャパンに選ばれた瞬間から、気持ちはすぐに入りました。

 RWCで一番覚えているのは、完成したばかりのカーディフのミレニアムスタジアムで優勝候補でもあった地元のウェールズと試合ができたことです(試合は15-64で敗北、ウェールズは決勝トーナメント1回戦でオーストラリアに9-24で敗退)。

 7万2000人の大観衆の前でホームチームと、新装されたグラウンドで戦いました。こんな経験はなかなかできるものではありません。2011年のRWCでは、日本は開催国のNZと戦いましたね。あの時の会場はハミルトンでした。観衆はおそらくミレニアムの2分の1程度ではなかったかと思います(30,484人)。ホームチームと対戦しても、あれだけの素晴らしい条件の前でできるとは限りません。その点から言っても私は一生忘れられない体験をさせてもらえました。

 

 

隣にいるユキオ(元木)の声が聞こえない

ミレニアムスタジアムの大歓声

 

 

 宿泊したホテルからミレニアムまではバスで10分くらいだったと思います。沿道は赤と白色のフラッグ、バナーやジャージーで埋め尽くされていました。日本とウェールズの基本カラーが一緒でしたから、一体感があってすごく綺麗でした。小さい子供が「ウェールズ、ウェールズ」と叫びながら拳を握りしめて振っていました。さすが「レッドドラゴン」と言われ、ラグビーが根ざしている地域だなあ、と感じたものでした。

 ミレニアムで日の丸を見て、君が代が流れた時、東芝府中のチームメイトでもあり、隣にいたクンダ(薫田真広、HO、現・RWC2019日本代表戦略室長)が大声で歌い、組んでいた肩をギュッと引き寄せました。今でもその強さは忘れていません。

 ミレニアムではとにかく歓声がすごかった。私たちが入場した時もかなりでしたが、ウェールズの時はその倍の声援でした。スタジアムが「ゴォー」と揺れて、まるで地震が来たみたいでした。CTBとしてコンビを組んだユキオ(元木由紀雄、現・京都産業大コーチ)のサインが聞き取れない。「WHAT、ナニ?」言いながら1メートルくらい横に行って、ようやく分かったくらいでした。

 

 

我々はチームとして過ごす時間が短かった

残念な思いを今のジャパンが変えている

 

 ウェールズ戦は前半15-26といい勝負をしました(最終的には15-64)。特にSHグレアム(バショップ)のワイドパスにWTBのダイスケ(大畑大介、現・追手門大学客員特別教授)が反応して、スピードを生かして挙げたトライは忘れられません。大介は間違いなく日本が誇るインターナショナルレベルの選手でした。

 ウェールズ戦の後半は0-38、サモア戦も34点の差がつくなど、最終的には一方的な試合展開になってしまいました。

 これは経験の差だと思います。日本はこのレベルの試合に慣れていない。80分間戦い続ける体力や集中力がありませんでした。

 その原因の一つはチームとして過ごした時間が少なかったことでしょう。ジャパンはその年の5、6月のパシフィックリムで優勝しました。でもその後は壮行試合になった8月のスペイン戦(30-7)だけ。そして10月の本大会を迎えるのです。直前合宿も決して長いとはいえなかった。もっとも大切な期間にまとまりや伸びが生まれませんでした。

 あのチームはヒラオさん(平尾誠二、監督、現・神戸製鋼GM)やツチダさん(土田雅人、コーチ、現・サントリーフーズ社長)が主将だった私の言うことをよく理解してくれて、よい環境を作ってくれた。クンダやユキオやワタル(村田亙、SH、現・専修大監督)らはリーダシップが取れたし、選手の仲もよかった。それだけにもっとチームで過ごす時間があれば勝てたのではなかったか、と今でも悔やまれます。

 今、エディーさん(ジョーンズ、現・代表監督)が合宿を重ね、チームとしての生活にこだわるのは、私が残念に思っていた部分を取り去ろうとしているのだと思います。今年はRWCイヤー。ジャパンには我々の分まで頑張ってもらいたいものですね。

 

TEXT by KATSUYA SHIZUME