朽木英次

朽木英次(くつき・えいじ)

生年月日:1962年12月25日。福井県出身。

日本代表キャップ:

RWC出場歴:1987、1991

ポジション:CTB

 

▼ラグビー略歴:若狭農林高校→日本体育大学→トヨタ自動車。1985年度、86年度、全国社会人大会優勝。86年度日本選手権優勝。1987年、1991年RWC出場。1996年引退。1999年RWCテクニカルスタッフ。2003年よりトヨタ自動車ラグビー部監督。日本代表キャップ30キャップ。現在は、トヨタ自動車株式会社社会貢献推進部総括室長

 針の穴を通すような正確なパス、瞬時に間合いを詰めるタックルで一世を風靡したCTBの登場です。瞬間ダッシュは、100mの世界王者並みのスピードで、何度も防御を翻弄し、美しいトライを産み出しました。1987年RWCでは、強豪オーストラリア代表のスター選手達を次々に倒して、日本代表CTBの座を不動のものにしています。引退から18年、名CTBがRWCを振り返りました。

 

1987年RWCのオーストラリア戦は

ラグビー人生のターニングポイント

 

 選手として、第1回目の1987年大会、そして、1991年大会に出場しました。

 僕のラグビー人生は進む道に光があたるというほど運がいい。高校(若狭農林)で県勢初のベスト16(いまだ破られず)、日体大でも準優勝、トヨタ自動車では日本選手権で優勝(1987年1月15日)、その年、脂がのりきっている状況でRWCを迎えることができました。

 第1回大会は、一次リーグで3試合しましたが、アメリカ、イングランドに連敗した後のオーストラリア戦は僕のプレーヤー人生のターニングポイントになりました。

 世界最強といわれた相手に、後半なかばまで競った試合ができたし、僕も2トライ(前半12分、24分)し、タックルが次々に決まりました。それまで、自分ではタックルが得意だという意識はありませんでしたが、この試合できっかけをつかめたと思います。

 僕は身長が173㎝で、RWCで僕より小さなCTBはいなかった。しかし、相手のディフェンスをずらす瞬間の2メートル、3メートルのスピードは長けていた。タックルするときも、相手との間合いを詰めるスピードが普通の選手より、1秒か2秒速かったと思います。あの時代は、組織的な部分もありつつ、自分の判断で間合いを詰めるタックルができた。それが良い方に出た試合でした。

 この大会で自信がつき、日本国内の試合では、誰が自分のマークに立っても、精神的にも優位に立つことができました。僕がボールを持つと相手が意識してくれるので、デコイ(おとり)の動きも効果が出てくる。その後の日本代表に定着できたのも、このRWCが大きかった気がします。

 

ぬかるんだピッチ、滑るボール

慣れない環境に苦しんだ1991年RWC

 

 1991年の第2回大会は、チームの調子も良く、自信を持って臨みました。1989年にスコットランドに勝ち、1990年のアジア予選でトンガ代表にも勝った。しかし、大会初戦でスコットランドに完敗しました。「まだまだ甘いぞ」と金槌で叩かれたような衝撃でした。相手の本気度がまったく違ったのです。

 この試合では、相手のCTBスコット・ヘイスティングスのトライを防ぐタックルをしたのですが、今になって振り返ると、反則「ノーバインド(体当たり)」です(笑)。

 印象的なのは、グラウンド状態が日本のプレースタイルに合わなかったことです。スコットランド、アイルランドとの戦いでは、寒くて芝生に霜が降りたような状況で、足下はぬかるみ、ボールも滑った。重馬場でステップは切れないし、パスもできない。スピーディーにボールが動かせないので、FWの取っ組み合いみたいな試合しかできない。日本のFW戦のレベルはまだ低かった。日本では経験しない環境に苦しみました。

 最後の試合でジンバブエに勝利し、これが2011年大会まで、日本代表の唯一の勝利ですが、ジンバブエのディフェンスが甘かった部分もあると思います。普通にFBがライン参加するだけで簡単に抜ける。好きなようにプレーできました。

第2回RWCは、本番ではチームはまったく別のものになるのだと痛感する大会でした。

 

2019年RWCの成功のために

スポーツマインドを高めていきたい

 

 34歳(1996年)で現役を引退しました。その後、ともに日本代表CTBとしてプレーした平尾誠二が日本代表の監督になり(1997年)、声をかけられてコーチングスタッフ入りしました。1999年大会は、テクニカルスタッフとして参加しました。相手チームの映像も含め、毎晩分析をして、それを平尾監督と土田雅人コーチに伝える。どこまでの情報を選手に落とし込むかはコーチが考える。我々は、相手チームや個人の戦い方やプレーの特徴を伝えるわけです。今では当たり前になっている、データ分析の「走り」でしたね。

 このときの経験が、その後、トヨタ自動車の監督(2003年~2006年度)になったときに役に立ちました。

 1999年大会も結果が出ませんでした。あの頃は、日本代表がこれだけ努力しても世界の強豪国が二倍も三倍も強くなっていくのだから、もう彼らと互角に戦える時代は来ないのではないかと思ったほどです。

 しかし、日本代表は強くなりました。トップリーグの充実も大きいと思いますが、世界の選手達と一緒に戦うことでレベルアップしてきましたね。今の日本代表はスクラムも強いし、簡単なミスもしない。キック力もある。どの選手もタフになりましたね。

 2019年、日本でRWCが開催されます。僕は現在、ラグビーにはまったく関わっていませんが、会社では社会貢献推進部に属しています。2019年RWCを招致するため、豊田市は今、3万人、4万人の観客が入るような機運を作っていこうとしています。

 日本サッカー協会が行っている「こころのプロジェクト」というものがあります。サッカー選手だけでなく、他のスポーツのOB・OGが小学校に派遣され、「夢の教室」で講義や実技をするものですが、同じようなプロジェクトを豊田市と中京大学とトヨタ自動車の産官学で推進していこうとしています。

 トヨタと中京大学のアスリートが小学校に行って講義する。そこにトヨタの社員がボランティアで参加し、スポーツを支え、楽しむスポーツマインドを高める仕掛けです。これが軌道に乗れば、トヨタグループの会社がある全国の街に広げていきたい。そうやって、スポーツ機運が高まる働きかけができたらいいと思っています。

 それによって、RWCが来たときには市民がこぞって試合を見に行くようになる。そういう草の根の活動をしていきたい。スポンサーがお金を出して、大会が成功すればいいのではなく、皆がスポーツを楽しむ土台作りが大事だと思っているからです。

 観客としては、2019年の試合は絶対に見にいきます。マオリ・オールブラックスの来日試合のチケットも、自分で買って見に行くくらいですから。2019年も楽しみです。

 

 

TEXT by KOICHI MURAKAMI