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ホラニ龍コリニアシ(ほらに・りゅう・こりにあし)

ホラニ龍コリニアシ(ほらに・りゅう・こりにあし)

生年月日:1981年10月25日

トンガ出身

RWC出場歴:2011、2015

ポジション:NO8

 

略歴:トンガ王国で生まれ育ち、学校(トゥポウ・カレッジ)ではブラスバンド部に所属。トロンボーン奏者だった。16歳になって故郷を離れ、日本の埼玉工業大学深谷高校に入学し、ラグビーを始めた。埼玉工業大学に進学してから、三洋電機ワイルドナイツ(現パナソニックワイルドナイツ)入りし、2007年に帰化により日本国籍を取得。2008年より日本代表に選出され、ハードタックルを武器に日本代表のNO8に定着した。パナソニックのホラニ龍シオアペラトゥーは一歳下の弟。

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流暢な日本語を操るホラニ龍コリニアシ選手は、日本のラグビーシステムで育ち、ずっと憧れだった日本代表にまで上り詰めました。しかし、2011年のRWCは初戦(対フランス代表)で膝を痛めて戦線離脱を余儀なくされます。満を持して臨んだ2度目のRWC2015でも直前に負傷。それでも夢を追い求め、RWCの舞台で戦い抜きました。ホラニ選手はなぜ日本代表に憧れを抱き、君が代を大きな声で歌い、どんな想いでRWCを戦ったのでしょうか。その熱い想いを語ってくれました。

 

念願かなっての来日で喜んだのもつかの間

辛くて長い練習でホームシックに

 

 なぜ僕が日本代表に憧れたかと言えば、伯父さん(母親の兄、ノフォムリ・タウモエフォラウ選手)が日本代表に選ばれて、第1回RWC(1987年)に出場していたからです。子供の頃、桜のジャージーを着てプレーする伯父さんの映像を見て、かっこいい、俺も日本代表になりたいって思いました。海外に出て、その国で代表選手になるって、すごいことでしょう。だから僕は、ノフォムリさんになりたかったんです。

 皮肉なことに、ノフォムリさんの影響でお母さんは僕にラグビーをさせませんでした。ノフォムリさんはすごく勉強ができたのに、ラグビーばかりして勉強をおろそかにしたと感じていたようです。でも僕は日本に行きたかった。最終的にはノフォムリさんが母を説得してくれました。

 念願かなっての来日でしたが、来てみると日本語は分からないし、ラグビーの練習は長くて辛い。友達もいない。帰りたくなりました。でも、母の反対を押し切って来たし、これで帰ったら合わす顔がないと思って踏ん張りました。ラグビーも「ド素人」だから、毎試合反則してシンビン(一時退場)を食らう。その繰り返しですよ。僕と一緒に来たマナセ(フォラウ愛世選手)は、トンガの中学でもキャプテンですごく上手かった。マナセに早く追いつきたい。その思いで必死にやりました。

 次第に日本語もラグビーも覚えて、大学に進み、三洋電機に入ることができました。2007年のRWC(フランス大会)が行われた国内シーズンで三洋電機は初めて日本一になりました。そのとき、日本でプレーしていたトンガの選手から、一緒にトンガ代表に行こうと誘われました。でも僕は、日本でラグビーを始めたから、トンガのラグビーがどういうものかも分からない。断っていたところに、日本代表のジョン・カーワンヘッドコーチから声がかかったんです。すごく嬉しかった。初めて試合前に君が代を歌ったときは、泣きそうになりました。ああ、ずっとテレビで見ていたけど、こういう感情になるんだなって。

 2011年のRWCはニュージーランドで開催されました。メンバーに入った時は最高に嬉しかった。トンガからニュージーランドは比較的近いので、トンガの親戚や友人がたくさん応援に来てくれた。興奮しました。それなのに、初戦(対フランス代表)の前半20分で膝の前十字靭帯を断裂してまったんです。10分ほど頑張りましたが、まったく力が入らなくて退場しました。ニュージーランドで手術をして、飛行機に乗れるようになるまで現地にいました。実は決勝戦の日を狙って帰りの飛行機に乗ったんです。みんな試合を見ているので、すかすかに空いているから。

 

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あきらめていた日本代表に再び

別メニューでの調整でRWC2015へ

 

 2011年大会が終わったとき、すでに僕は30歳を越えていたし、日本代表にはもう呼ばれないだろうと思っていました。

 2012年の国内シーズンが始まった頃、膝の回復具合は70%ほどでした。それなのに、11月の日本代表のヨーロッパ遠征に召集がかかった。最初は断りました。70%では国際試合は戦えないと思ったからです。

 でも、エディー・ジョーンズヘッドコーチは「それでもいいから、来てくれ」と言ってくれました。まだ必要とされているんだと感じて、もう一度頑張ろうと思いました。エディーさんには「膝のコンディションさえ気を付ければ、まだまだ代表でプレーできる」と言われました。そこから、JP(ジョン・プライヤー ストレングス&コンディショニングコーチ)と膝のコンディショニングを始めたわけです。

 みんなとは別メニューでした。関節の軟骨がすり減って、クッションがなくなっていたのです。完全には治らないので、いかに怪我と付き合っていくかという状態でした。日本代表のハードなトレーニングは有名になりましたが、怪我を抱えた選手は同じメニューは無理でした。僕も同じことをすれば膝が腫れてしまうのです。だから、あのハードな練習をやりきった選手は「すごい」としか言いようがない。特にFW前5人は、スクラムも組んで、走って、スーパーマンですよ。あれだけの練習をこなしながら、ご飯のときは冗談を言いながら笑っていましたから(笑)。

 

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サモア代表戦がもっとも印象深い試合

普通に戦って普通に勝ってしまった

 

 2015年のRWCについては、大会までの過程で今でも悔やんでいることがあります。

 大会を前に膝の状態は良くて、先発NO8でプレーできる感触がありました。8月に世界選抜と戦いました。ウルグアイ代表との試合前に、宮崎で宗像サニックスブルースと練習試合をしたのですが、ここで足首を痛めてしまったんです。9月5日のジョージア代表戦に出場したときにも同じ箇所を痛めた。その試合では脳震盪もしてしまった。

 その後、エディーさんから「南アフリカ代表戦はメンバーに入れないから、第2戦のスコットランド代表戦に備えてくれ」と言われました。南アフリカ代表戦はなにがなんでも出たかった。しかし、指揮官の指示には従わなくてはいけない。僕のターゲットは一つズレたわけです。ところが、スコットランド代表戦のメンバーにも入らなかった。

 「あれ? あれ?」とスコットランド代表戦の事前練習でなんとなくわかり始めて、「あれ?もしかして、(出場は)ないんじゃねぇ?」って(苦笑)。

 だから、次のサモア代表戦に気持ちをぶつけました。メンバー入りが決まってからは、ずっと興奮状態で、早く試合がしたくて、ソワソワ、ソワソワしていましたね。

 

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 サモア代表戦の国歌斉唱はぐっときました。僕はトンガの国歌より、日本の国歌のほうがしっくりくる。憧れの日本代表は、君が代を歌うのが当たり前。あのメロディーも体に染み込んでいる。国歌斉唱でこみ上げる気持ちは初キャップのときから変わりません。

 歌詞の意味については、最初はキクさん(菊谷崇選手、2011年RWC日本代表キャプテン)がみんなに説明してくれて、廣瀬俊朗選手、リーチ マイケル選手が引き継いでくれました。日本代表選手として歌う以上、意味を知らないのは失礼ですから。

 僕が気に入っているのは、「さざれ石」のくだりです。小石が集まって大きな岩になる。日本代表は、体は小さいけど、一つになって戦えば大きな相手を倒せるのだというところにつながります。僕はそう解釈した。日本では大きな僕だって、海外の強豪国と戦えば、相手を見上げますからね。

 

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 2015年大会で印象的なのは、チームとしては南アフリカ代表に勝った瞬間ですけど、僕の中では、サモア代表戦です。あのサモア代表を相手に普通に戦って普通に勝った(笑)。アイランダーのチームは、RWCではいつも以上の力を発揮します。「普通」という意味がなかなか上手く表現できないのですが、いろんな細工をして工夫して、ぎりぎり勝ったのではなく、「普通に」抑えて、「普通に」トライをとって勝った。何度かサモア代表と戦ったことがありますが、初めての感覚でした。あんなこと、またできるのかなぁ。

 

若返った日本代表に参加して

2019年に向かっての可能性を感じた

 

 RWC2015を終えて、自分のラグビーの価値観が変わったか、と問われれば変わっていません。周囲でラグビーを見ることの価値観が変わった気がします。僕らがテレビでサッカーを見ているような感覚で一般の人がテレビでラグビーを見る。そういう時代になったのかなと思います。

 いろんな場所でラグビーファンの人達から声をかけられることも増えて、奥さんに「あなた、悪いことできないね」と言われます。もともと悪いことなんかしていないですけど(笑)。

 今年の6月、再び日本代表に選出されました。昨年のRWCのチームとは雰囲気がまったく違いました。メンバーはスーパーラグビー(サンウルブズ)組がメインです。そのスケジュールの延長戦でやっていたから、早朝練習もないし、コンビネーションを合わせる練習が多かった。メンバーも若返りましたよ。大野均ちゃんと僕なんかと比べると、10歳以上離れている選手もいる。僕らも何を話していいか分からないし、向こうも緊張していたと思います。でも、楽しみです。あんなに短期間の準備でスコットランド代表と接戦ができるのだから、2019年のRWCではすごい力を発揮しそうな気がします。

 久しぶりにRWCメンバーと試合ができて楽しかったです。みんな変わらないなって思った。もし、昨年のRWCメンバー全員で戦うことができたら余裕で勝っていましたね。

 2019年は日本にRWCが来る。僕が2019年の日本代表にいるイメージはありませんが、2019年に向かって行く中で自分に何ができるかを考えています。自分の経験を若い選手と一緒にプレーすることで伝えたいとは思っています。

 日本大会では、この国ならではのオリジナリティーを出してほしい。ニュージーランドやオーストラリアからトップリーグに来ている選手達は「日本の応援は独特だ」と言っています。向こうはただ騒いでいるだけだけど、日本は整然として名前やチーム名を大きな声で叫んでくれる。それは、「力になる」と言っています。日本の野球やサッカーのような組織だった応援を見たら、海外のラグビーファンもまた違った楽しみ方を見出すんじゃないかな。スーパーラグビーだって、サンウルブズの応援が一番盛り上がっていますよね。

 日本のラグビーファンの皆さんには、2019年を存分に楽しんでほしいです。会場に行くと、いろんな国の人がいるので、他の国の文化にも触れてほしい。海外から来る人も日本の皆さんと交流できることを楽しみにしているし、日本の人に声をかけられたら嬉しいと思いますよ。

 

TEXT by KOICHI MURAKAMI

 

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