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高澤祐治(たかざわ・ゆうじ)

高澤祐治(たかざわ・ゆうじ)

生年月日:1969年11月16日

神奈川県逗子市出身

RWC参加歴:2015

ポジション:ドクター

 

略歴:小学1年生から藤沢ラグビースクールでラグビーを始め、追浜高校から順天堂大学医学部に進学。整形外科医となり、1997年からサントリーサンゴリアスのチームドクターとして活動。2012年から日本代表のチームドクターに就任。現在は、順天堂医学部・大学院医学研究科准教授で順天堂医院整形外科・スポーツ診療科に勤務。父・晴夫さん(故人)、兄・俊治さんも整形外科医

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高澤祐治さんは、2012年から日本代表のチームドクターとなりました。コーチやトレーナーと相談しながら、選手のコンディションを管理し、怪我をした選手を早期復帰に結び付けるなど、エディー・ジャパンの快進撃を支えました。南アフリカ代表戦勝利の瞬間は、メディカルスタッフとしてグラウンド脇で選手に寄り添い、勝利の瞬間は選手と抱き合いました。高澤医師にとって、エディー・ジャパンとともに過ごした日々は、どんなものだったのでしょう。また、ラグビーチームにおけるメディカルスタッフの役割とは。

 

 

サントリーでエディーさんと出会い

オーストラリアのスポーツ医学を体感

 

 整形外科医になったばかりの頃は関東ラグビー協会の医務委員会で高校の試合のドクターなどを務めていました。個別のチームに関わったのは1997年からで、サントリーラグビー部の選手を診察するようになりました。当初は、怪我をした選手がいれば診察する程度だったのですが、土田雅人さんが監督になられて、チーム強化のひとつの柱としてメディカルの充実を打ち出し、週1回グラウンドに足を運ぶようになりました。そこから、トレーナーや理学療法士、S&C(ストレングス・コンディショニング)コーチと時間を過ごすようになりました。

 エディーさん(エディー・ジョーンズ)もスポットコーチでサントリーに関わっていました。エディーさんがオーストラリア代表ワラビーズのヘッドコーチだった頃、私はスポーツ医学の勉強でヨーロッパに行こうとしていました。ところが、なかなかビザが下りず、そのことをエディーさんに相談したら、「ワラビーズのチームの組織は素晴らしいから、勉強に来たらどうだ」と言ってくれました。

 ジョージ・グレーガンがキャプテンで、非常に強かった頃です。チームドクターを紹介してもらい、1カ月ほど帯同しましたが、コーチもトレーナーもプロフェッショナルで、組織もしっかりしていましたね。新鮮だったし、刺激的な時間でした。

 その後、エディーさんはサントリーの監督になるのですが、その時も、S&CのJP(ジョン・プライヤー氏)とコミュニケーションをとりながら、メディカルの体制を整えていきました。その延長線上で、2012年からの日本代表でも同じようなスタンスでサポートを始めました。

 

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イングランド入りしてから選手の目が澄み

チームがどんどんまとまっていった

 

 日本代表のスタッフになり、エディーさんに最初に言われたのは、「メディカルとS&Cのバランスが良くないと、4年後の成功はない」ということです。体を大きくすることと、怪我の予防、コンディショニングをバランスよく進めて欲しいということでした。

 練習のメニューが立てられると、JPやトレーナーと、怪我をしている選手がどの程度の練習ができるか、いつくらいに復帰できるかということをすり合わせていました。2015年の春の時点で、ラグビーができていない選手が4、5名いましたが、彼らのターゲットをどこに持ってくるか、当然、9月19日の南アフリカ代表戦にピークを持っていくことがもっとも大事でしたが、間に合わない可能性のある選手もいたので、そのプランニングをしていきました。

 RWC2015本番で印象に残っているのは、イングランド入りしてからの選手の表情が澄んでいたことです。大会前のジョージア戦(2015年9月5日)のあとは、どんどんチームがまとまっていって、練習の集中力も非常に高かった。これは、何か起こるのではないか、そんな気がしていました。

 歴史的勝利となった南アフリカ代表戦直前は、選手もスタッフも非常にいい緊張感だったと思います。エディーさんは、予行演習をしっかりする人で、選手みんなで宿泊施設を見学に行き、ホテルの食事、ホテルからグラウンドへの導線を確認するなど、綿密な準備を行っていたので、本番で初めて経験することがほとんどなかったのです。

 通常の練習では、故意にカオスを作り出して、選手に判断させるように促すのですが、RWC2015の舞台では、なるべくカオスを作らないようにしていた。余計なところでストレスがかからないような配慮をしていました。だから、みんなラグビーに集中できたのだと思います。

 南アフリカ代表戦は、グラウンド脇にいました。ドクターとトレーナーは一人ずつ両サイドにいなくてはいけない、というルールがあるからです。相手チームも含めて、4人のメディカルスタッフがタッチライン際にいることになります。

 キックオフ以降はタッチライン際の選手に一番近いところを動いていたのですが、選手の戦いぶりを見ながら、行けそう(勝てそう)な感覚がありましたね。

 最後のカーン・ヘスケスの逆転トライのときも、ラインアウト、スクラムが行われた一番近くにいました。ボールが右に展開され、またこちらに戻ってきた。

 トライの瞬間は、きっとテレビで見ていた皆さんと同じ気持ちだったと思います。直後には、インゴールに入って選手にとびついてしまいました。すぐに、ここにいちゃいけないと思って下がったのですが、あんなに興奮したのは初めてです。ドクターとしていつも冷静にいることを心掛けてきましたし、選手に抱き着いたのもあれが初めてです。あとで選手達から冷やかされましたね(笑)。

 

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エディーさんが求めたのは、

診察室での常識的な判断ではなかった

 

 今回の日本代表に参加して感じたのは、長期間にわたって、しっかりした準備をし、ハードワークすれば、目標は達成できるということです。当たり前のことですが、努力はウソをつかないということについては勉強になりました。

 2014年7月、菅平高原でスタッフのミーティングがありました。そのとき、すでに2015年9月19日に向けての準備を細かく話し合っていたのです。エディーさんは、「9月19日に勝つ。歴史が変わるのはその日しかない」と言いました。南アフリカ代表に勝つためのミーティングと練習がそこから始まったのです。

 2015年1月のスタッフミーティングのとき、エディーさんから、ゲームスピードの話が出ました。南アフリカ代表の選手が経験している試合と、日本チームのゲームスピードがどれくらい違うかという話をして、日本より早いゲームスピードを毎週のように経験している南アフリカ代表に勝つために、どうすればいいかをスタッフに問いかけました。

 ゲームスピードというのは、一人の選手がどれくらいの距離をどんなスピードで走ったかを、GPSで測定し、それを計算して、チームがどれくらいのスピードで動いているかを数字に示すものです。日本より上のゲームスピードでプレーするチームに勝とうと思えば、一つ一つの練習の強度をそれ以上に設定しなくてはいけない。

 メディカルの役割は、誰にどのくらいの強度をかけられるのかを考えることです。例えば、膝に何らかの障害がある状態で、一週間みんなと同じ強度の練習をすれば、腫れてくる選手もいる。全員同じ強度の練習はできないわけです。

 

 

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 現場では、診察室の常識とは違うことが起きます。大会前の8月21日、エディーさんに渡した私のレポートには多くの負傷者がいました。彼らが試合に間に合うかどうかわからなかったし、間に合ったとしても、いいパフォーマンスが出せるかどうかわかりませんでした。その選手達をメンバー入りさせていいのかという葛藤もありました。

 しかし、エディーさんが求めているのは、病院の診察室から得る一般的な診断名ではない。ラグビーの練習をしながら、復帰させるプログラムを考えていかなくてはいけないのです。そして、医療の常識では間に合わないような選手が試合に出るまでになった。病院では経験のできない貴重な体験でした。

 RWC2019日本大会に向けては、まずは、次の日本代表のドクターをサポートすることが一番大事だと思っています。そして、メディカルとして次の世代の若い選手達もサポートしていきたい。私は整形外科医ですが、睡眠や栄養など、いかにしてリカバリー能力を高められるのか、トレーナーやS&Cコーチと一緒に勉強し、ディスカッションを重ねてきました。リカバリーの能力を世界一にすることは可能だと思います。まだまだ、引き続き勉強していかなくてはいけないことが多いですね。

 

 

TEXT by KOICHI MURAKAMI

 

 

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