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宮崎良平(みやざき・りょうへい)

宮崎良平(みやざき・りょうへい)

生年月日:1990年8月1日

大阪府東大阪市出身

RWC参加歴:2015

ポジション:バゲージマスター

 

ラグビー略歴:小3のとき花園ラグビースクールで競技を始め、英田(あかだ)中卒業後にNZダニーデンのキングス高に留学。卒業後に専門学校オタゴポリテクニックでスポーツマネジメントを学ぶ。2015年春、日本代表バゲージマスターに就任。

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バゲージマスターとは、簡単に言えば用具係ですが、練習用具の管理、準備はもちろん、練習場やバスの手配など、チームに必要なものはすべて取りそろえる重要な役目です。宮崎良平さんは、ラグビーのまち東大阪市で生まれた生粋のラグビーっ子。日本で一番花園に近い学校「英田中学」を卒業すると、ニュージーランドにわたり、ラグビー王国で多感な青春時代を過ごしました。ラグビーをこよなく愛する宮崎さんが日本代表のバゲージマスターになった経緯、その中でどんな役割を果たし、どんな思いでRWC2015と向き合ったのか。裏方ならではのエピソードを語ってくれました。

 

 

中学卒業後にニュージーランドへ

RWC2011は、ボランティアとして満喫

 

 東大阪市の花園ラグビー場の徒歩圏内で生まれ育ったので、ラグビーはいつも身近にありました。近所のお兄さんたちが花園ラグビースクールに入っていたので、僕もラグビーを始めました。中学入学後、1年生の僕に「お前、いつからスパイク持ってくるねん」と言ったのが、現在、近鉄ライナーズのキャプテンを務める豊田大樹さん(当時、中学3年生)です。僕の同期には、泉敬(現、NTTドコモレッドハリケーンズ)もいました。

 当時、英田中学には、アファ・ハニパリさん(現、中部大ラグビー部ヘッドコーチ)という英語の先生がいらっしゃいました。アファさんがNZ時代に勤めていた高校に、僕の先輩である名富朗さん(現、宗像サニックスブルース)が中学3年生のときに留学しました。それで僕も興味を持ち、卒業後、NZ南島ダニーデンのキングス高校に留学することになりました。

   最初は言葉が全然分からなかったのですが、キングス高校は留学生を受け入れるプログラムがあったので、徐々に分かるようになりました。ラグビーを通じてたくさんの友達ができました。プレー面では結局一軍には上がれず、二軍で終わったのですが、ほんとうに楽しい3年間でした。

   高校卒業後も帰国する気持ちにはなれず、英語ももっと学びたいし、ラグビーにも関わりたいと思い、専門学校であるオタゴポリテクニックでスポーツマネジメントを専攻しました。2011年に卒業したのですが、まだ社会に出て何をしたいのかは決めかねていました。そこで、その年にNZで開催されたRWC2011のボランティアに応募したのです。大会中は最後までオタゴのスタジアム内でお客さんの誘導係などをしました。RWCの雰囲気を満喫しましたね。

   NZではなかなか希望の仕事が見つからず、2012年春に大阪に戻り、地元の石切中学で教諭の仕事を補助する支援員(スクールヘルパー)をしていました。そろそろNZに戻ろうかと考えていたときに、校長先生から「教師にならないか」と声をかけられ、石切中学に勤務し、ラグビー部の指導をしながら通信教育で学び始めました。その中学の先生のなかにラグビーのレフリーをされている方がいて、講習会などの通訳をさせていただく機会があり、少しずつ日本のラグビー関係者との縁もつながっていきました。

 

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初体験のバゲージマスター

用具の準備、管理に奔走する日々

 

 

 支援員の契約は3年でした。教員免許も取れていなかったので、とりあえず何をするか考えていたところ、2014年の暮れに日本ラグビーフットボール協会から日本代表スタッフの募集が告知されたのです。ダメでもともとと応募してみたら面接に呼ばれ、日本代表の岩渕健輔GMから「バゲージマスターという仕事があるのですが、どうですか?」と言われました。聞き覚えのない言葉で躊躇したのですが、友人、知人に相談すると「やってみたら」という意見が多く、やってみることにしました。

 2015年4月、日本代表の宮崎合宿に参加することになり、総務の大村武則さんからさまざまな指示を受けて動き始めました。エディー・ジョーンズヘッドコーチにもお会いしたのですが、緊張していて何を話したか覚えていません。とにかく、無我夢中で話したら、エディーさんに「君は何を話しているの? 英語、ダメね」と、笑われました(笑)。

 主な仕事は練習の準備でした。前日にコーチに指示されたものを準備し、ホワイトボードにメンバー分けを書き、チーム分けするときに着用するビブスを揃え、練習の印になるマーカーを並べる。ディフェンスのセッションであれば、タックルバッグを、コーチの指示通りに置く。ボールを磨き、練習後は空気を抜き、また入れる。

   バゲージマスターの先輩も知り合いもいないので、とにかく言われたことをこなしながら仕事を覚えていきました。遠征のときは、持参する道具のリストを作成して、航空会社に知らせ、トラックの段取りもする。練習後にすぐ移動することもあり、ご飯を食べる暇もなく道具をまとめました。失敗したことをあげれば、キリがありません。

   選手に対してメーカーから支給される物品の管理も僕の担当でした。まとめて送られてきた物を各選手に分かるように並べたり、破れたり、壊れたりしたものは、僕から業者さんに連絡します。エディーさんから「明日の練習は、ボールに泡をつけてほしい」というような要望もあり、そういうときは、ホテルの人に言って洗剤を準備してもらうこともありました。スティーブ・ボーズウィックコーチから、練習前に急に「ラインアウトの練習で脚立を使いたいから、用意してくれないか」と言われて、あわてて探すようなこともありましたね。

 

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ハードワークしながらも気遣ってくれる

尊敬する選手達の勝利に感動

 

 

   昨年のRWC2015のことは、毎日が一生懸命すぎて記憶があまり残っていません。常に100%で動いた6カ月でした。大会期間中は合宿地を転々としました。次の合宿地、グラウンドに先乗りし、リエゾン(現地の世話役)の方と打ち合わせ、次々に準備をしなくてはいけませんでした。

   南アフリカ戦勝利の瞬間は、ピッチサイドのベンチにいました。試合中はメディカルの通訳サポートをしたり、また、トレーナー陣からロッカールームにある物を持ってくるように頼まれることもあります。交代選手にタオルを渡し、ベンチの水も管理しました。

   いつもは、試合が終わる10分前にロッカールームに戻って、アイスバスの準備などをするのですが、あの試合は戻っている場合ではなかった。僕の代わりに、代表ジャージーのメーカーであるカンタベリーオブニュージーランドジャパンからサポートできていただいていた鴛淵さんが、ロッカーに戻って準備をしてくれました。

   勝った瞬間は全身の力が抜けました。報われたというのか、4年間、スタッフ、選手がいろんなことを犠牲にして頑張ってきた、その結果なのだと感動しました。僕は半年しか関わっていませんが、歴史の一部になれたことが光栄だし、嬉しかったです。

   鴛淵さんは、過去のRWCでも日本代表のサポートをされていました。「俺はここまで来るのに20年近くかかったけど、良平ちゃんは6カ月で勝った。すごいことやで」と言ってくださいました。NZの友達からも、「お前たち、すごいな」とメッセージが届きました。

 

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   振り返ると、スタッフ、選手の皆さんにはほんとうに優しくしていただきました。僕は常にテンパるタイプなのですが、「大丈夫か?」、「俺がやってやろうか?」と声をかけてくれますし、荷物をトラックに積み込むときには、トンプソン ルーク選手が「俺に任せろ」と荷台に乗ってくれたこともありました。コリーさん(ホラニ龍コリニアシ)も、よく手伝ってくれました。朝からずっとハードワークして、なおかつ僕のことも気遣ってくれる。尊敬しています。そんな選手達には、いい結果を残してもらいたくて、自分のできることは何でもしようと思いました。

   大会が終わった時は、もう帰ってしまうのかという寂しい気持ちもありましたが、日本に荷物を送る仕事があったので気は抜けなかったです。JALのスタッフの方も、「なんでもします」と言ってくださった。最初からよくしてもらったのですが、南アフリカに勝ったときは、「感動しました」とメールもいただき、それまで以上に応援してくださったと思います。帰国の時は、JALの皆さんがロンドン・オリンピックのときにも着用されたはっぴを着て、ロビーに横断幕を掲げてくれました。

   日本に到着し、羽田空港で荷物を所定の場所に置いたところで僕の仕事は終了しました。選手はファンの皆さんが出迎えているところに出て行きましたが、スタッフは出る前に解散でした。僕はそのまま大阪に帰りました。

   疲れていたのかもしれませんが、常にアドレナリンが出ていたからか、帰国後もあまり疲れを感じていなくて、行きたかった国に一人旅し、ゆったりとした時間を過ごしました。

   その後、2019年のRWC、2020年の東京オリンピックに関わりたいという気持ちが芽生え、以前から声をかけていただいていた、日本ラグビーフットボール協会の広報スタッフの仕事に就きました。ラグビーに携わって良かったのは、世界中の人々とのつながりができたことです。これからも、大好きなラグビーに関わり続けていきたいと思っています。

 

 

TEXT by KOICHI MURAKAMI

 

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