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中島正太

中島正太(なかじま・しょうた)

生年月日:1985年9月2日。東京都出身

RWC参加歴:2015

ポジション:分析(アナリスト)

 

▼ラグビー略歴:葛飾ラグビースクール→熊谷東中学→熊谷工業高校→筑波大学→セコムラガッツ→キヤノンイーグルス→日本代表分析担当(2012~2015)→男子セブンズ日本代表分析担当(2015年~)

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中島正太さんは、RWC2015で活躍した日本代表の分析(アナリスト)担当としてチームを支えました。ラグビーを始めたのは5歳(葛飾ラグビースクール)の頃です。中学から本格的にラグビーをはじめ、SOとして熊谷工業、筑波大学でも活躍しました。卒業後はセコムラガッツでアナリストとしてチームスタッフとなり、2012年、エディー・ジョーンズ日本代表ヘッドコーチ就任と同時に日本代表のスタッフとなりました。RWC2015の快挙の陰でアナリストが果たした役割と、中島さんのラグビーへの思いについて伺いました。

 

指導者を目指して進学したものの

筑波大学で出会ったゲーム分析の世界

 

 私がラグビーを始めたのは5歳のときです。生まれが葛飾(東京都葛飾区)で、ラグビーファンだった両親の意向で葛飾ラグビースクールに通い始めました。中学の時に父親の実家がある埼玉県に引っ越すことになり、好きだった野球か、バスケットボール、ラグビーのどれにするか悩んだのですが、結局、ずっと続けてきたラグビーを選びました。入学した熊谷東中学のラグビー部は県で一番強く、東日本大会でも準優勝しました。ここでラグビーにどっぷりはまって、そこから高校、大学と続けました。将来は指導者になりたかったので体育の教員になることができる筑波大学に進学しました。2年生から関東大学対抗戦にも出ることができて、4年生の大学選手権では帝京大学に負けて引退。その翌日、古川拓生監督に呼ばれて、セコムで分析をやってみないかと勧められたのです。

 大学の研究室に分析のソフトウェアがあって、映像とエクセルなどを使って分析する方法は教えてもらっていました。卒論もそれを使って書きました。2007年のRWCをすべて分析して、キックの有効性について研究したのですが、内容は大したことはありません。でもプレゼンについては、古川先生に「ラグビーを知らない人に、ラグビーとはどういうものなのか、研究で何が分かったのか、伝わるようにしなさい」と言われて、ラグビーの魅力を伝えるのにはどうするべきなのかということをよく考えたことが今に生きています。

 

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分析の面白さはラグビー観の広がり

エディーの考え方、姿勢は刺激的だった

 

 分析の面白さは、相手のラグビー観を知ることにより、自分のラグビー観が広がることです。このチームの哲学は何か、どうやってトライを取ろうとしているのか、私はそういうことを知るのが好きなんですよね。

 セコムラガッツに1年、キヤノンイーグルスに3年、所属しました。セコム時代、後に日本代表GMになる岩渕健輔さん、チームマネージャーになる大村武則さんと出会い、キヤノン時代にサントリーのエディー・ジョーンズさんに会いました。そして、2012年のエディー・ジャパンの立ち上げの時にスタッフとして加わることになったのです。

 エディーのラグビー観は私が持っているものと違っていました。私はラグビーを縦軸で考えていました。22mラインではどうする、ハーフウェイライン付近ではどう攻めようかなどです。ところが、エディーは横軸で見ていた。タッチラインから何メートルにラックがあると、相手はこういうディフェンスをするから、このアタックが有効だね、というような考え方です。他のスポーツからの情報を集めて、ラグビーに生かそうともしていました。その姿勢は刺激的でした。

 セコム、キヤノンでは私が全体的に分析した結果を選手に発信していたのですが、日本代表では、ラインアウトはスティーブ・ボーズウィックが分析するし、エディーも分析します。私は彼らのために情報を集めました。だからこそコーチ陣の考えを深く知ることができたし、それぞれのことを深く学ぶことができた4年間でした。

 一つわかりやすい例をあげると、2012年の日本代表はキックをほとんど使いませんでした。相手の防御がキックを想定して下がっているところを攻めて行こうということです。2年目になると相手も対応して下がらなくなってくる。するとキックを使い始める。2年目はキックを多用する試合、パスが多い試合のばらつきがありました。3年目からはバランスがとれてきて、パスとキックが、9:1、11:1くらいの割合になるのがちょうど良いバランスだと落ち着いた。ポゼッション(ボール保持時間)も、54%から56%くらいがちょうどいい。それ以上でも以下でも結果が悪いのです。

 しかし、RWC2015の南アフリカ戦だけは、意図的にまったく違う方法を採りました。キックを多用したのですが、ただ蹴るのではなく、相手がパスだと思って前に出てきたときに後ろに蹴る。上手くはいきませんでしたが、これを実現するために一年間取り組み、キックを蹴るタイミングについて選手がよく理解できたと思います。

 サモア、アメリカに対しては、9:1で勝つことができた。日本らしい戦い方で勝てたのは良かったと思います。負けたスコットランド戦はキックが少なすぎました。パスをつなごうとしたときにミスが起こったこと、スコットランドのキック戦略が上手かったことが要因でしょう。思うように地域を進めることができず、焦りにつながりました。

 

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選手達が望むチームになれたこと

そのチームに携われたのが嬉しかった

 

 南アフリカ戦勝利のときは、エディーの近くにいました。最後にカーン・ヘスケスがトライするまで勝つことが信じられなかったです。

 ただ、私の記憶ではペナルティーキック(PK)から選手がPGではなくスクラムを選択したときは悪い結果になったことがありません。2013年のアメリカ戦(6月23日、秩父宮ラグビー場)でも、勝負どころ(後半7分、9点リードの場面)で頑なにスクラムを選択してペナルティートライを奪った。あのときもエディーはPGを狙えと言っていました。

 4年間で一番ストレスだったのは、日本代表活動期間中の朝のコーチミーティングです。毎朝8時にあるのですが、7時半くらいになるとホワイトボードにエディーがその日のアジェンダを書いている。それを見て、自分なりに30分で準備をします。何か質問されたときに答えられないと叱られるのです。胃が痛くなる時間でした。いま選手が調子を落としているとしたら、それをどうやっていい状態に戻すのかというところまで答えを持っていないといけない。否定されることもあるので、プランB、プランCも準備する必要がある。それがコーチ陣は大変だったと思います。

 数字の分析だけではなく、選手のモチベーションを高める映像も作りました。2012年以降、大事な試合前に見せていたのですが、2015年はエディーから一度もリクエストがなかった。でも、いつかオーダーが来ると思って、宮崎で選手がハードワークする姿をビデオに撮っておくなど、準備だけはしていました。そして、南アフリカ戦の10日前にオーダーが来ました。いつもは脚本家のように細かくイメージを伝えてくるエディーの指示が、いつになく抽象的でした。

 選手には試合前日の練習前のミーティングで見せました。映像と写真と音楽で作りましたが、最初の映像は廣瀬俊朗で始まり、リーチ マイケルで終わる。ここだけはこだわりました。やはり、トシさん(廣瀬俊朗)から始まったチームだし、リーチもそれをわかっていて、その中で自分にできることをやろうとしていたからです。最後に南アフリカ戦の日付と、新しい歴史を作るのだという言葉を加えました。4年間で一番反応が良かったという気がします。

 私自身は、初めて4年間のプロジェクトに関わり、選手達が望んでいた通り、「子供達に尊敬され、憧れられるチーム」になったことが嬉しかったし、そのチームに携われた喜びを感じています。

 もともと指導者を目指していたのですが、いまはアナリストとしてトップレベルのラグビーに携わることができている。できるかぎりこれを続けたいと思いますし、海外のチームでも話があれば挑戦してみたいです。

 RWCのことを思い出そうとしても、いろんなことを忘れ始めていますね(笑)。

 2015年のRWCを経験した者として思うことは、次の大会にこの経験を伝えないといけないということです。サンウルブズの初戦で嬉しかったのは日本代表選手達がスタンダードを下げずに、上げて行こうと努力する姿勢を感じたことです。RWC2015に参加した者として、私自身も世界でトップのアナリストを目指していきたいと思っています。

 

TEXT by KOICHI MURAKAMI

 

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