DSC01214

木津武士

木津武士(きづ・たけし)

生年月日:1988年7月15日。大阪府出身

日本代表キャップ数:41

RWC出場歴:2015

ポジション:HO

 

▼ラグビー略歴:東海大仰星高校→東海大学→神戸製鋼コベルコスティーラーズ(5年目)。

A36T5447_2

 

木津選手は祖父の代から続く相撲一家で、武士と言う名前は、「武士のように逞しく」という願いを込めて名付けられたそうです。小学1年生から中学3年までは相撲一筋で大阪では敵なしの強さを誇っていました。そんな木津選手も東海大仰星高校に進んでからはラグビー道をまっしぐら。2009年11月21日、対カナダ代表戦でテストマッチデビュー。屈強な肉体を武器にHOとして代表に定着します。昨秋RWCの南アフリカ代表戦では後半途中から出場し、逆転につながるゴール前の攻防に全力を出し切りました。軽妙なトークで、いつも周囲を和ませる木津選手にとってのRWCとは、そして日本代表とは。

 

リーチキャプテンの言葉が終らないうちに、

「スクラム行こう!」それが勝利につながった

 

 2015年のRWCを振り返って思い出すのは、やはり南アフリカ代表戦最後の10分です。実は10分しか出ていないのですけどね(苦笑)。メディアでもあのシーンが繰り返し放送されるので、よけいに印象に残っているのかもしれません。映像で見返すと、10分しか出ていないのに自分がまったく動けていないと感じます。それに、あの拮抗した場面で僕を投入してくれたことも驚きました。エディー・ジョーンズヘッドコーチは、スコアが拮抗しているときはあまり動かないし、先発の堀江翔太さんに対する信頼も厚いですから。RWCという大舞台のシーソーゲームのなかで出してもらえたのは、嬉しかったし、しっかりプレーしなくてはいけないという思いでした(※木津選手は後半29分、29-29の場面で出場)。

  BA2K9517

 

 ジョーンズHCからは、チームを勢いづけるため、自分の持つ能力をすべて出し切ってくれと言われていました。これはリザーブから出ていく全選手に共通することです。僕の場合はセットプレー(スクラム、ラインアウト)をしっかりして、ボールキャリー(ボールを持っての突進)も数多くできればいいとイメージしていました。

しかし、10分間というのは一番しんどいのです。20分間あれば、いったん息が上がった後、スムーズに動けるようになるのですが、10分は、上がりきらずに終わってしまうくらいの時間です。だから、めちゃくちゃしんどかった(苦笑)。

 しばらくすると南アフリカのゴール前のラインアウトがありました。そのときのスローイングは何も考えずに投げ入れて成功したのですが、あとで考えてみると、よく投げられたと思います。モールは押し切れず、その後、ゴール前でスクラムを組むことになります。何度か組み直しになった後、最後にPKを得ました。このとき日本代表には、ショット(PGを狙う)か、スクラムか、タッチに蹴り出してラインアウトからモールで攻めるか、いくつかの選択肢がありました。

もし、モールを選んでいたら、ラインアウトからもう一度スローイングしなくてはいけなかった。ここでノットストレート(まっすぐ投げ入れない反則)をしてしまったら、日本に帰れない。そんな思いが頭に浮かびました。だから、リーチ マイケルキャプテンの『スクラム行けるか?』という言葉が終らないうちに、『スクラム行こう!』と言いました。もちろん、相手が一人シンビン(10分間の一時退場)になっていたので、優位に立てるのは分かっていました。このときは、なぜか冷静だったんですよね。

そのスクラムも、何度か組み直しがあり、前に出られる手ごたえをつかみました。ところが、相手も最後だし、レフリーの声より早く組むアーリーエンゲージ気味で出てきた。これは反則をもらえると思ったら、そのままプレーが続いたのでプレッシャーをもろに受けました。なんとかアマナキ・レレイ・マフィがボールをキープしてくれて助かりました。映像で見返すと、スクラムを選んだのに、押されているので恥ずかしいです(苦笑)。

 

24年ぶりの勝利がすべてを変えた

近所のクリーニング店では粋な計らいも

 

 最後のスクラムに全力を注いだので、その後の連続攻撃は足がプルプルして、まったく動けませんでした。それなのに、80分フル出場しているリーチ マイケルが一連の攻撃の中で3回もボールを持って突進した。すごいと思って見ていました。最後は僕の前を立川のパスが通り過ぎ、マフィにわたりました。トライになったときは、もう何がなんだか分からなかった。誰だか忘れましたが、近くにいる選手と「勝ってもうたで、こんなことある?」って話したのを覚えています。

 

BA2K0003

 

 これまでのラグビー人生で最高の喜びでした。日本ラグビーが変わった瞬間でもあり、日本にとってRWCでの24年ぶりの勝利の相手が南アフリカだったというのも最高でした。南アフリカ戦が行われたブライトンの街でも、この勝利後はどこにいても「おめでとう」と声をかけられたし、いろんなお店で何かしらのサービスを受けました。

 日本に帰ってきてから感じたのは、ラグビー選手を見る目が変わったということです。びっくりするくらい選手がテレビに出ている。過去にはなかったことです。ひとつ個人的なエピソードがあります。RWCから帰ってきてすぐ、家の近くのクリーニング店に日本代表と私物のものなど3つのスーツを出しました。戻ってきた仕上がりを見ると、私物のスーツは「普通仕上げ」だったのですが、日本代表のだけは、「高級仕上げ」という札がついていました。これもジャパン効果です(笑)。

 

BA2K3285

 

試合以上の強度の練習をしないと勝てない

だからこそ日本代表は動き続けた

 

 RWC2015を終えて、結果を出すことが何よりも大事だと感じました。3勝したことで世間のラグビーに対する見方が変わった。ラグビー人気を上げるには日本代表が勝つことが一番です。これから始まるスーパーラグビーでサンウルブズが勝つこと、そして日本代表が強くあることが大事なのです。エディー・ジョーンズヘッドコーチの下で行っていた以上のことをしないと、次の大会では勝てないと思います。ジョーンズHCは練習が試合よりもきついという局面を常に作っていました。実際にRWCではみんなよく動けていて、練習の成果を実感しました。

 フィジカル面で言えば、日本の選手は小さいので、相手チームは、どんどん体をぶつけて動けなくしようとしていました。それでも日本代表は動き続けた。フィジカル強化も頑張って、強みにしたからこその結果だったと思います。僕自身は、この4年でスクラムのスキルが向上し、どうすれば日本人が海外の強豪国に勝てるのかという経験値を積んだことでも成長できました。2019年の日本大会を成功させるために、ハードワークしていくしかない。選手の立場ではそう思います。

2019年の日本大会では、日本代表が街を歩けないくらいの知名度で、日本の試合以外でも日本のラグビーファンが多く駆けつけ、盛り上がるようになってほしい。日本全体でRWCを盛り上げたいですね。いまはまだ先は見ていませんが、サンウルブズでもいいプレーをして、日本代表でも一年一年頑張り、気が付いたらRWCイヤーだったという流れでいきたいです。

RWC2015は特別でした。会場の雰囲気もすごかったし、一戦一戦の重みも違った。ひとつ勝つことで日本のラグビー界が変わるような試合もある。今回の勝利で、2019年は予選プール突破が当たり前のように思われるかもしれません。日本代表選手にとっては、プレッシャーのかかる4年間になります。もし負けたらせっかく上がった人気が下がってしまうという不安もある。しかし、結果がすべてです。なんとしても勝てるように、4年間ハードワークをしていきたいと思います。

TEXT by KOICHI MURAKAMI

DSC01224

 

インタビューはこちらの動画でもお楽しみいただけます。